祖母が死んだ 妻との会話
実家での打ち合わせが終わり、私は埼玉の自宅へ帰った。一週間ぶりの帰宅だ。
妻の反応
妻は、さっぱりとした性格だ。たぶん、夫の母が死んだことを聞いたら、何らかの形で気持ちが乱れるものだと思う。しかし、妻は落ち着いた様子でストレートに質問を投げかけた。
妻は、悔みの言葉を唱えるでもなく、淡々と受け答えした。
妻は、私の実家を強く嫌っているはずだ。結婚にも反対されたし、結婚後も、私の母からたびたびいじめられた。私も、妻を十分に守ることができていなかった。祖母から直接的に攻撃を受けることはなかったはずだが、良い印象を持っていないことは間違いない。
私と妻は、お互いに、かーちゃん、とーちゃんと呼んでいる。私は、妻に行かない選択肢を与えるつもりで聞いた。
妻は、あっさりとそう言った。昔から肝が据わっている。多少の面倒は飲み込みながら生きていく、という覚悟がある。今回も、そういうスタンスを取るようだ。
美咲について
美咲(仮名)とは、妻の連れ子だった子だ。私と妻が結婚し、私たち二人の娘になった。今は既に大学を卒業して就職し、小売店の店長として働いている。
私にとって、美咲は良い子だ。優等生という意味の良い子ではなく、人間味あふれる良い子だ。
美咲は、大学受験に失敗した時、たくさん泣きながら、滑り止めの私立大学の一覧を私に渡した。予定を変更して、たくさん受けさせてくれ、と主張してきたということだ。受験にはたくさんの受験料がかかる。美咲にとって、私にお金を出させるのは、後ろめたいことだったのだと思う。しかし、美咲はきちんと自分の希望を主張した。そういう美咲の行動を、私は好ましく、誇らしく思った。
美咲は、私の母が妻をいじめているところを、断片的に見たことがあるはずだと思う。だから、娘は私の実家に良い印象を持っていないはずだ。通夜に参加するかどうかは、娘の意思に委ねたい、と感じた。
翔太について
翔太(仮名)は、私と妻が結婚してから生まれた息子だ。翔太も、美咲と似た良い子だ。
翔太は、美咲と歳が10歳離れている。翔太と美咲は仲が良い。翔太は美咲をお手本にして育ってきてくれたのだと思う。
息子は、自分の嗜好を表明することについて、ためらいがない。
息子は、前述の通り、太鼓のバチを作るのが趣味だ。ここ2年ほど、毎日、木を削っている。そういう、自分のちょっと変わった嗜好というものは、隠したいと思うのが普通だと思う。息子は、そういう感情がないようだ。自分を隠さないことは良いことだ、と私は思う。
子どもたちを連れて行くことについて
妻は、美咲と翔太を、通夜と告別式両方に参列させる、と自分から言ってくれた。私は、それについて話すことが、気が重いと感じていた。妻からそう言ってくれて、助かった気持ちになった。
娘には、妻から連絡を取ってくれた。息子には私から言った。
私の家では、私の祖母を、「おおばあちゃん」と呼んでいた。私の祖母は、私の子どもたちからするとおばあちゃんの上だ。だから、「大きいばあちゃん」という意味で「おおばあちゃん」だ。
息子にも、昨晩のうちに、祖母が死んだことは伝わっていた。
普通に考えれば、ひ孫が曾祖母の葬式に参列するのは当然のことだ。しかし、息子はいつも自分の意志を表明する。息子自身の行動規範としてそれは昔からあったし、私としても、息子自身が行きたくないと思うのなら、無理に参加させるのは良くないと思っていた。面倒だと思っている息子を無理に参加させることは、息子と祖母、両方に対する侮辱のように思えた。
息子も、娘と同じように、私の母が私の妻をいじめているのを感じ取っていた。だから、私の実家には良い感情がないはずだ。
また、息子が物心ついた時には、祖母の認知症は進んでいた。だから、息子と祖母は、まともに会話したことがない。コミュニケーションが成り立っていなかった人の葬式に出るというのは正しいことかどうか、迷うのも当然だろう。
息子の中にも、血縁者の葬式には出るべきであるという意識と、この人の葬式に出る資格が自分にあるのだろうか、と考える意識と、両方があったのだろうと思う。
私は、息子が出席するかどうかは自分の意志で決めて欲しい、と思いながら、一方では、やはり出て欲しい、とも考えていた。私にとって大事な人間である息子を参加させることで、祖母の成仏に貢献したいという意識があったのだと思う。
ひとつ、息子を釣る餌を思いついたので、言ってみた。
息子は、人並みの好奇心を持っている。墓を開けるところが見れる、というのは、息子の背中を押す良い理由になると思った。
息子は10秒ほど考えた。
私は、息子の意思に任せたい、と思っていた。でもやはり一方では、親類の葬式には行くべきだ、という道徳観に縛られているのだなと感じた。
このあと妻から、娘も葬式に参加するという連絡をもらった。4人で行くことになった。