祖母が死んだ 葬儀屋さんとの打ち合わせ
実家に着いたのは午前11時ごろ。私が着いた時には、もう既に家族が集まっていた。
集まっていた家族
集まっていた家族は以下の通りだ。
- 父
私の父。死んだ祖母から見ると義理の息子だ。婿養子としてこの家に来て、40年ほどを過ごしている。80歳くらい。 - 母
私の母。死んだ祖母から見ると実の娘だ。産まれてからずっと、この家に、死んだ祖母と一緒に住んでいる。75歳くらい。 - 姉
私の姉。死んだ祖母から見ると孫だ。20年ほど前に、嫁に行く形でこの家を出た。子は3人。45歳くらい。 - 叔母
私の叔母。私の母の妹だ。死んだ祖母から見ると実の娘。50年ほど前に嫁に行く形でこの家を出た。子は居ない。私はこの人があまり好きではない。70歳くらい。 - 私
私。死んだ祖母から見ると孫だ。22年前、大学入学する時にこの家を出た。子は2人。40歳。
ごく近い親類を、どこまで「家族」と呼ぶのかは、人によって違う気がする。ここでは、これらの人たちを「家族」と呼ばせて頂く。
祖母の遺体
私は気まずい気持ちで実家に入った。前述の通り、母が嫌いであり、それを母へ表明していたからだ。
ただいま、とは言いたくなかった。ただいま、と言うと、ここに帰ってきたかった、というようなニュアンスを伝えてしまう気がする。私は、母が嫌いだ。本当はここに来たくない。だから、入るならそれを示した上で入りたい、という面倒な意地を持っていた。
玄関で靴を脱ぎ、左手にある部屋に入る。仏壇のある部屋だ。そこへ4人が机を囲み、無言で座っていた。
私が、母のことを嫌いだと本人に表明したのは、1年半ほど前だ。今の母は、私の感情を理解していた。それを反映してか、母から私への言葉は少なかった。
祖母の遺体は、病院から実家に移され、祖母の部屋に安置されていた。布団が敷かれ、そこへ寝かされ、掛け布団を掛けられていた。眠っているように見えた。
顔には白い布が掛けられていた。手は、両手がお腹の上で組まれ、紐のようなもので固定されている。
遺体の脇には、もともと自宅の仏壇にあった線香立てと鐘が移され、置いてあった。線香をあげ、鐘を鳴らし、手を合わせて祖母の遺体を拝んだ。そして私も机の脇へ座った。みんな疲れているらしく、正座ではない。父はあぐらをかいていた。母、姉、叔母も足を崩して座っていた。
病院から自宅への搬送は葬儀屋の人にやってもらったそうだ。人の体というのは大きいし、重い。さらに葬式まで遺体を腐らせずに維持しなければならない。プロの知識が必要なことだろうと思えた。
布団の中にはドライアイスが入っているそうだ。とにかく遺体を冷やして腐敗を防ぐ必要がある。それも、葬儀屋の人がやってくれていた。
家族との会話
私はこの叔母が苦手だ。私は、この人の接し方が好きではない。
こちらの意志を表明しても、それを折るように提案してくるその態度が好きではないのだ。
ここにいる家族の中で、私が信頼しているのは父と姉だ。母と叔母は好きではない。
死んだ祖母は、子育てがあまりうまくなかったのかな、と思った。
言い放つ感じで叔母はそう言い、会話を切ってお菓子を取りに行った。
今日の私は、祖母に線香をあげたくてここに来た。その目的は達成した。しかし、これから葬式の準備があるだろう。それについてなにも聞いていなかった。
これから葬儀屋さんが来るそうだ。父は、ソウギヤサンではなく、ソウシキヤサンという言い回しを使った。葬儀、だと、仰々しくて遠いもののように感じるからそう表現したのだと思う。
そのあと、話題は、葬式に呼ぶ親類に関することへ移った。どこからどこまで声をかけるのか、判断が難しそうだ。私は、親戚づきあいにほとんど参加していなかったので、意見しなかった。
親類が来る場というのは、私には心細い。誰が誰だか、わからないからだ。
葬儀屋さんとの打ち合わせ
しばらくして、インターホンが鳴った。葬儀屋さんが来たようだ。
葬儀屋さんとの打ち合わせ
葬儀屋さんは、既に祖母の遺体を病院から自宅へ搬送する時に、ここにいる他の家族とは会っている。私と会うのはこれが初めてだ。
葬儀屋さんは私たちに挨拶をし、そのあと祖母へ線香をあげ、手を合わせた。そして、我々に向き直って言った。
葬儀屋さんは、とてもゆっくりとした、悲しそうで柔らかな口調で言った。独特な雰囲気だ。遺族の気持ちを刺激しないことに特化した口調なのだろう。
葬儀屋さんは、うちの家族構成を把握しているようだ。昨晩、病院で、父が説明したのだろう。当然といえば当然のことだが、必要なことを確実に頭に入れてくれていると感じた。
葬儀屋さんが来て、一気に緊張した空気になったと感じた。私はその変化についていけず、少しオドオドした言葉で応えた。
葬儀の詳細、か。何を決めていくのだろう。
あ、なるほど。葬式で必要なものを全部選んでいくわけだ。
葬儀屋さんは、たくさんのこと、と言った。それはどれくらいたくさんの項目なのだろうか。また、なにか重要な選択が存在するのだろうか。
棺(ひつぎ)
棺のメニューを見てみると、3つの種類があった。7万円、15万円、25万円の3種類だ。
今回の葬儀は、この葬儀屋さんの互助会会員価格が適用されるようだった。後から知ったことだが、死ぬ前のうちに毎月3000円を80回、合計24万円支払っておくと、葬儀費用が54万円ほど値引きされ、30万円ぶんのトクだ、ということらしい。
棺にも会員価格が適用され、7万円、15万円、25万円が、無料、8万円、18万円になるということだった。
3段階の金額をみせられると、私の心は揺らいだ。棺など選んだことがない。人生で初めての経験だ。どういう基準で選べばよいのかわからない。
高いと、祖母は、天国へ行きやすくなるのだろうか。安いと、祖母は、あの世で何か苦しみを受けるのだろうか。
この場に居た家族みんな、私と同じ気持ちであったのだろうと思う。30秒ほど、沈黙のまま時間が過ぎた。
今回の葬式の喪主は、私の父だ。葬儀の内容は、基本的には、父の判断を優先して確定していくべきなのだと思う。しかし、父は婿養子なので、祖母の実の息子ではない。おそらく父は、祖母の実の子である母に遠慮している。
しかし、母は判断力に欠けるところがある。更に、今日この場で見た感じでは、かなり疲れているようだった。元々弱い人であることに加え、祖母の死を迎えていっそう力をなくしているように見えた。頼りにできなさそうに感じた。
父も、今日は疲れているようだった。あまり寝られていないように見えた。
それなら、いっそのこと、孫である私が意見したほうが良いかもしれない。孫、という立場は、特権的だ。孫がワガママを言うなら、それを聞いてやろう、というスタンスを取ってもらえる。私が孫の特権を使って、話を前に進めよう、と考えた。
若干、ピントがズレた回答だ。
二重の意味で恥ずかしい質問だ。まず、祖母の成仏と葬儀の値段を天秤にかけていることが恥ずかしい。そして、自分の知識の無さをさらけ出すのが恥ずかしい。でもおそらく、この場に居た家族全員が聞きたかった問いだと思う。
葬儀屋さんは、慎重にではあるが、見栄え、という言葉を使い、高い棺の意味を否定した。
この葬儀屋さんの反応を見て、私は葬儀屋さんのスタンスを理解した。たぶん、この葬儀屋さんは、遺族の葬儀費用負担の重さを理解している。ある程度は信頼できる人だと感じた。
一方で、安い方を選んだほうが良い、とは言わなかった。それはおそらく、高い棺で葬儀をしたいという人が一定数いて、それらの人を否定したくないからなのだろう。
私の価値観では、安い棺を選ぶことが正解な気がした。しかし、葬儀のメニューを全て知ってから決めた方が良いとも考えた。もしかしたら私は、少しでも決断を先延ばししたかっただけかもしれない。ともかく、この時の私は、そう言った。
葬儀屋さんも、今回の私のような反応には慣れているのだろう。淡々と説明していった。
祭壇と花
祭壇は、金額が大きくなるにつれて、サイズも大きくなるようだった。横3メートル、高さ2メートルくらいだろうか。また、彫刻も派手であるように見えた。
葬儀屋さんは、私の価値観を読んで説明してくれた。
花は別料金か。10万円分の花、と聞くと、ちょっと高いなと感じる。しかし、悪い葬儀屋さんの場合、遺族に相談せずに勝手にたくさんの花を飾って、高額な請求をしたりするのだろう。事前説明してくれるのは誠実な態度だと感じた。
父が口を開いた。私も同意見だ。
祖母は、昔から畑仕事が好きな人だった。岩槻の実家は、畑を2枚持っていた。昔、私と姉が子供の頃に買ったそうだ。私と姉、それぞれが家を建てる時のためだ、と言い訳して買ったと聞いている。
祖母は、その畑に行って、作物と花の世話をすることが好きなようだった。畑では野菜をたくさん育てていたが、畑の面積のうち1割ほどを、花のために割いていた。
祖母は、若いころは貧乏で苦労して生きてきた人だ。経済性を優先する性格だった。
畑で花を育てれば、そのぶん野菜のための面積が小さくなってしまう。だから、花を育てることは、祖母の経済合理性に反する行動であるはずだった。
でも、それでも祖母は花を育てていた。それだけ花が好きだったということだろう。
畑は、実家から自転車で10分ほどの距離にあった。3年ほど前から、父と母は、祖母の認知症が進むのを見て、祖母が畑に行くことを禁じた。
実家の敷地内には、畑ではないが、小さな庭があった。畑を禁じられて以降の祖母は、その庭で花を育てることを楽しみにしているらしかった。
少しの沈黙のあと、葬儀屋さんが口を開く。
20万円ぶんの花など、買ったことがない。どのくらいになるのか、見当がつかなかった。
そう言って、葬儀屋さんはお葬式の花の例を我々に見せた。祭壇の前に花が並べられた写真が、20種類ほどあった。これだと10万円くらい、これだと20万円くらい、これだと5万円くらい、という感じで説明を添えてくれた。
私は、祖母が好きだった花を知らない。父も母も、何も言わなかった。たぶん、ここにいる家族全員が、祖母が好きだった花を知らないのだろう。
父と母に「祖母が好きだった花がわからない」と言わせるのは、ちょっと酷な気がした。だから、私が葬儀屋さんに話した。
そう言って、葬儀屋さんは1枚の写真を示した。だいぶ華やかであるように思えた。
花について決めた後、少し不安を感じた。これは、よくある商法なのではないか。祭壇について、高いものと安いものを見せて、まず安いものを選ばせる。そしてその差額を埋めるように、別の何かを買わせる。モノを買わせるトークの型として、そういうものがある。私はそれにハマったのではないだろうか。
しかし、せっかくまとまった話を戻してしまうと、叔母や母が何か面倒なことを言ってくるかもしれない。疑念を持ったままだったが、私は話を続けた。この流れなら、さっきの棺は安いやつを選択することになるだろう。
父は短く答えた。すんなりと決まった。良かった。
骨壷
私は、骨壷というものを自分の目で直接は見たことがない。
これも、だいぶ間抜けな感じのする質問だ。骨壷というのはそういうものだということは、だいたいの人はわかっている。私も、その意味以外の骨壷というのは聞いたことがない。しかし、とんでもない勘違いをして話を進めたら大変だと思って、間抜けだと感じつつ質問した。
私から追加の質問がないことを確認して、葬儀屋さんは話を進めた。
カタログを見ると、15種類ほどの骨壷があった。値段は、一番高いもので7万円台。価格帯はまんべんなく散らばっている印象だ。
確かに、これは価値観が大きく分かれるところかもしれない。
カタログの骨壷は、一番安いものだと、ほとんど無地の白いものだ。1万円ほど足すと、花が描かれた骨壷を選べるようだった。さっき、祭壇の花について話したことにつられてか、花の骨壷に目が行った。アヤメの花が描かれた骨壷だ。
1万円だけの差なら、花の骨壷を選んだほうが良い気がした。
1万円という少額の差ということもあり、骨壷は花柄ということで決まりそうだ。
今回のこの葬儀は、花、をキーワードとして進むのかもしれない。確かに、祖母は花が好きだった。花が好きだったから、花をたくさん飾る葬式にする。正しい方向だと思う。
一方で、少し陳腐な気もした。葬式に花を飾るのは、普通のことだ。その花に特別な意味を持たせようとすることは、何か間抜けな気がした。
しかし、間抜けであっても、今ここで決めなければならない。考え抜いて決めるような時間的余裕はない。迷ったまま走っている感じだ。
骨壷への名入れ
墓石の下の空間に骨壷を入れるシーンを想像した。ふと、気になった。そこには、先祖の骨壷があるはずだ。そこには骨壷がいくつあるのだろうか。どれが誰の骨なのか、その次に墓を開けた時、判別できるのだろうか。
気になったが、葬儀屋さんに聞くかどうか、一瞬迷った。余計なことを聞いて、家族の意見が割れると面倒だと思ったからだ。しなくてもいい話は、しない方が良い気がした。
しかし、子孫たちを困らせることは避けるべきだろうと思った。10秒ほど迷った後、葬儀屋さんに聞いてみた。
たぶんこれも、葬儀屋さんにとっては慣れた質問なのだと思う。
やっぱり、わからなくなってしまうのか。
なんだかショックだった。あなたの子孫たちは、あなたたちのことを何も気にしないだろう、と言われたような気分になった。
もちろん、私の家族の子孫たちがどのように考えるかということは、今の時代に生きている私にはわかりようがない。しかし、今の私たちができる範囲で、子孫たちの疑問や不安を解消する手立てをするべきのように感じた。
それに加えて、祖母が生きていたことを子孫に伝えたい、という欲求もあった。祖母が存在したことを伝える努力をしてもいいだろう、と感じた。
この言葉を聞いて、なんだか拍子抜けした。それもメニューにあるのか。だったら最初から言ってくれよ、と思った。
私としては、やるべきことのように思った。父へ、断定口調で言った。
骨壷への名前の彫刻について、最初から説明してくれなかったのは、私としては不満だった。しかし、最初からたくさんの選択肢を提示すると、遺族が混乱して選び切ることができなくなってしまうのかもしれない。ここまで決めたことの中にも、説明されなかった選択肢がたくさんあるのだろう。
全ての選択肢を理解して決断すべきだ、という考え方は、一面としては正しい。しかし、現実的に、この場では難しい。全てを理解するには時間がかかる。この場で決め切れなくなってしまう。
更に、家族であっても人生観や死生観には違いがある。それがぶつかってこの場が紛糾する可能性もある。消化不良な感じはしたが、このまま進むしかない、と思った。
湯灌(ゆかん)
湯灌。これも、言葉は聞いたことがあるが、実際に見たことはない。
家族もみんな、黙っていた。意見がないようだ。みんなよくわかっていないのだと思う。
12万円とは、だいぶ大きな金額だ。しかし、普通は、やることなのだと思う。私のような普通の人でも知っている単語だ。それだけ一般的なことなのだろうと考えた。
父もよくわかっていないはずだが、そう言った。話を先に進めなければならない、という意識があったのだと思う。
みんな、そろそろ疲れてきたようだ。私も疲れてきている。すべての事項について、その選択が祖母の死後の生活に悪い影響を与えないだろうか、と迷いを感じてしまう。決断力のスタミナが切れてきたように感じた。
通夜・告別式の食事
通夜ぶるまい、精進落し。それぞれ、その単語は知っている。しかし、それらが別のものなのか、同じものを別の言葉で言い換えているだけなのか、よくわからない。仏教としての意味も、よくわからない。
なるほど。なんとなく2日間でやるんだよなというイメージは持っていたが、明確に説明してくれて安心できた。
料理のメニューには、様々なものが載っていた。寿司、天ぷら、刺身、和風・洋風のオードブル、煮物などだ。
まず人数を読まなければならないのか。これはちょっと大変だ。どれだけの人が来るのかなんて、事前にはわからない。親類と、近所の人と、それぞれが何人来るか。「あなたは来ますか?」と聞かなければならないかもしれないが、聞かれたら「行くよ」と答えるというのが人情というものだろう。聞いていったらキリがないような気もする。
私は、親類とも、近所の人とも、付き合いがほとんどない。ここは、父に全て任せるほかなさそうだ。
難しい、と言いつつ、葬儀屋さんはフォローを出さなかった。難しくても決めてもらわないといけない、というスタンスのようだ。
人数については今晩に持ち越し、ということになった。
料理の種類は多数あったので、まずどれにするか決めて、後で人数に応じて個数を増減させてくれ、ということのようだ。
よく見ると、出されたメニューは、どれを選んでも、それほど価格帯に変化はなかった。一人あたり3000円~5000円で収まるような価格設定になっていた。どの葬式も、これくらいの金額でやるのが普通なのだろう。
その金額であれば、通夜ぶるまいについては、特上寿司、和風オードブル、天ぷら盛り合わせ、煮物盛り合わせのセットが良いかと思います。これで、だいたい一人あたり4000円くらいのご予算になります。
寿司、と聞いて、ちょっと違和感を持った。寿司というのは、基本的には祝いごとの時に出すもののはずだ。通夜に寿司を出して良いのだろうか。
確かに、私も親戚の通夜に行って、寿司が出てきたことはある。だから、たぶん普通のことなのだと思う。でも、強い違和感を持った。
しかし、疲れていたし、話を面倒にするのがイヤだった。私は違和感を持ったまま、無言で時間が過ぎるのを待った。
あとから聞いたところによると、今の葬式では、寿司を出すのは普通のことであるらしかった。葬式のやり方もどんどん変わっているのだ。
誰の時の葬式だったか覚えていないが、確かに前に火葬場で食べた食事は、大皿料理ではなかった気がする。
少し意外だった。父が、高い料理を選ぶとは思わなかったからだ。
父は、素朴な人柄だ。虚栄心があるようには思えない。葬儀屋さんは、通夜ぶるまいと同じくらい、という言い方で4000円の料理を暗に勧めた。それに対して父は、5000円の料理を選んだ。父は、珍しく、見栄を張りたくなっているのだろうか。それとも、お金をかけることで、祖母の供養を少しでも盛大にしたいと考えているのだろうか。
受付の人の手配
葬式の受付。私も昔、やったことがある。会社の上司の家族が亡くなったとき、私が駆り出されたのだ。亡くなった本人と私は、当然、全く繋がりがなかった。私が受付をやる必然性がない、と感じた。更に、ブラックな職場だったので、貴重な休日を潰されて腹が立った。
父は頼もしく、そう言った。そういえば、元気な頃の祖母は、近所の人とお茶を飲むことが多かった。父がこう答えたことに、私としても納得できた。
死んだ祖母も、自分の葬式のために知り合いの人が動いてくれるのを見たら、喜ぶだろう。私が受付をやった時のように、なんの関係もない人がやるのとは違う。祖母のために、祖母の知人である誰かが動いてくれることは、祖母の供養になるように感じた。
今日の決断は終了
だいぶ精神をすり減らしたと感じた。用意されたメニューの中から選択していくだけだったが、それでも、とても疲れた。
葬儀屋さんが帰ったあと、父と少し話した。
私は曖昧な言い方で父に尋ねた。
これから父は親戚たちと近所の人たちに電話をかけ、通夜と告別式の日程を連絡するのだ。電話をかける先は、たぶん50件以上あるだろう。相当な苦労だ。しかし、私は親戚との繋がりも、近所の人との繋がりも、とても薄い。私が手伝えることではないように思った。
私は実家と疎遠だが、父のことは嫌いではない。父に大きな負担を押し付けることを申し訳なく思った。しかし、顔も浮かばないような親戚や近所の人に私が電話をしたら、電話を受けた方もいぶかしがるだろう。その考えを言い訳にして、私はその作業に立ち入らなかった。
葬儀屋さんが帰った後、私はもう一度、祖母に線香を手向けた。
決めるべきことは決めた。今日はもう、この家でやることはない。私は母の顔を見るのがイヤだったので、帰ることにした。
父も、私の気持ちを理解していたのだと思う。私はそのまま、自宅へ帰った。通夜は3日後だ。