祖母が死んだ 葬式のあと

通夜と告別式が終わったあと。私は、岩槻の実家に行くことはなかった。

祖母が死ぬ前の1年間も、私は岩槻の実家に行っていなかった。母が嫌いだったからだ。祖母が死んで、なにか変わるかもしれないと考える気持ちもあった。しかし、私の気持ちは変わらなかった。母の態度も変わらなかった。

祖母の骨を墓に入れる四十九日の式に、私は行かなかった。

秋には、一周忌が行われた。1月に死んだのだから、秋だとまだ1年経っていない。しかし、最近の一周忌というのは時期について厳密な扱いをしなくなっているらしかった。

その一周忌にも、私は行かなかった。母から、何度か私へ電話がかかってきていた。私はその全てを無視した。母は姉に依頼したらしく、姉から私に一周忌の日程について連絡が来た。私は、行きたくない、と答えた。

祖母が死後の世界で幸せに暮らすための貢献をしたい、という気持ちは持っているつもりだ。しかし、祖母について考える頻度は少なくなっていた。母に会いたくないという気持ちも強かった。だから行かなかった。

葬儀の意味がなんなのか、わからなくなっていた面もある。神道と仏教が混ざってしまってできた献杯の儀式。語呂合わせでできた拾骨室での「箸渡し」の儀式。通夜ぶるまいで寿司を出すこと。葬儀の風習はどんどん変わっていく。今の風習も、時代が変われば変わるだろう。意味が曖昧な儀式に出ても、祖母の死後の世界での生活には影響を与えられないのではないだろうか。そう考えるようになっていた。

四十九日にも行かず、一周忌にも行かなかった。

葬式の場では、細かなこと全てに色々な意味付けをして、祖母の死について考えていた。それなのに、今は祖母を忘れつつある。もちろん、完全に忘れることなどないはずだ。しかし、私の頭の中で祖母が占める割合は、どんどん減っている。

私は葬式で、よくわからない風習に身を委ねて、その風習の細かい意味についていちいち考えていた。それなのに、葬式が終わったら、死んだ本人のことを考えることすら減っている。

私は、自分が本当に祖母を慕っていたのか、それとも自分が人並みの優しさを持っているということを自分の中で確認したいだけだったのか、わからなくなった。きっと、わからないまま、時間が過ぎていくのだろう。

<祖母が死んだ 完>