妻の母が死んだ 公民館にて
釜石駅に着くと、妻が迎えに来てくれていた。そのまま、今日泊まる公民館へ向かった。
公民館にて
パパさんと姉さんというのは、妻の姉夫婦だ。宮古市に住んでいる。釜石からクルマで一時間ほどの場所だ。
パパさんは高校で教師をしている。とても落ち着いた人だ。私はこの人を信頼している。今回の葬儀の段取りは、パパさんが中心になってやってくれているようだった。
姉さんも、人当たりのよい人だ。しかも、パパさんも姉さんも、美男美女だ。理想的な夫婦であるように思えた。姉さん夫婦は娘が二人いる。その二人の娘も、美人だった。完璧な家族だ。
公民館は、釜石駅からクルマで5分ほどの場所にあった。12畳ほどの部屋が4つある。そのうちの2つの部屋を繋げて使い、義母の祭壇が作られていた。祭壇の前には、棺があった。
祭壇の脇には、義父が肌着と短パンという服装で、座布団を枕にして寝ていた。疲れているのだろう。私に気付くと、ああカズオさん、よく来てくれたね、と言った。
前述の通り、義父は怒りっぽい人だ。義父が何かの拍子に怒って、葬儀をメチャクチャにしてしまわないか不安だった。私は少し緊張しながら、いえ、遅くなってすみません、と応えた。
祭壇には、義母の遺影が飾ってあった。棺桶に近寄る。棺桶の中には、義母がいた。それを見て、少し涙が出た。泣くというのは反射的な反応なのだろうか。頭で何かを考えたわけでもなく、棺に入った義母を見た瞬間に目が熱くなり、涙が溢れた。
線香をあげ、鐘を鳴らし、手を合わせて拝んだ。手を合わせてから、義母に何を伝えればよいだろうか、と少し考えた。頭の中で、美咲をくれてありがとうございました、と唱えた。拝んだまま、また少し涙が出た。
行列を決める
祭壇の前には簡素な長机が置かれており、その上にたくさんの料理があった。今日、みんなで作ったものだという。義父は私に、たくさん食べて、と言った。義父は、人にものを食べさせるのが好きだ。このセリフは、何度言われたかわからないほどたくさん言われていた。
パパさんと姉さん、あと義母の弟夫婦、それと私の妻、娘と息子もいた。みんな、長机を囲んで、足を崩して座っていた。
暗い感じはない。いつもと同じように談笑していた。葬儀の段取りは全てパパさんが整えてくれていたようだ。パパさんがやってくれているのなら、従っておけば大丈夫だろう。私はなにもすることがなさそうだった。
パパさんが、紙を一枚取り出した。
行列とは、なんの行列だろうか。
妻も知っていた。この行列というのは、釜石では常識のようだ。
お寺で行列を作って歩く。初めて聞くことだ。
行列というものがどういうものかわからないが、近親者が優先なら、義母の子どもである妻と姉さんも当てはまるだろう。妻は黙っている。少し遠慮しているのだろうか。
パパさんは少し間を置いてから言った。
パパさんは、付箋に名前を書き、紙に貼っていった。紙には、以下の記述があった。これらの仏具を持ち、行列を作って歩くそうだ。
- 御先火
- 金蓮華(二名)
- 四華花(二名)
- 御茶
- 御水
- 一杯飯
- 御写真
- 御位牌
- 霊棺(御遺骨)
どれを誰が持つべきか、というのは、厳密には決まっていないらしい。軽いものは義母の兄弟に、重いものは若い人に割り当てているようだった。美咲は一杯飯、翔太は四華花を持つことになった。
翔太に、この行列の役割をやらせるのは、少し違和感があった。
翔太は、義母の孫であるし、翔太も義母を好きだったと思う。しかし、美咲と義母の繋がりと、翔太と義母の繋がりを比べると、その意味に大きな違いがある。
美咲は、妻が離婚した幼稚園の頃から、私と結婚した小学三年生の三月まで、義母の家から歩いてすぐの場所に住み、毎日義母と会っていた。一方、翔太と義母は、年に一度しか会っていない。
義母は、様々な人から愛されていた人だ。義母の葬式で何かの役割を持ちたいと思っている人は、たくさんいるだろう。その枠を翔太が消費してしまうのは、申し訳ない気がした。
しかし、細かいことを言うと人選が難航してしまう。孫という立場は特権的だ。翔太を当てはめるのは、みんなの納得感という意味では悪い選択ではないだろう。だから、そのまま黙っていた。
父への連絡
私の父へ電話をした。
父へは昨日のうちに、義母が死んだことは連絡していた。しかし、葬儀の細かい日程は、まだ伝えていなかった。
少し、気が重かった。私は、母が嫌いだからだ。
二ヶ月前、祖母が死んだ。それからあと、私は実家と一切連絡を取っていなかった。父のことは嫌いではないが、母は嫌いだ。
また、母は義母に嫉妬していた。私が、義母を好ましく思っていたからだ。私は、母が嫌いで、義母は好きだった。母はそれを感じて、カズオは釜石のおばあちゃんばかり大切にしている、もっと私を大切にしろ、という意味のことを言うことが多かった。
式場の広さの関係で、明日の火葬にはあまりたくさんの人を呼ぶことはできない。だから、私の父と母の参列は断ろう、と、妻と話をしていた。
父は普段穏やかな人だが、少し声を荒げて言った。葬式に来なくていい、というのは、強い疎外感を感じるのだろう。
しかし父も、葬式の会場の広さの問題は、二ヶ月前の祖母の葬式の時に実感しているはずだ。その難しさは理解してくれそうなものだが、と感じた。
行く、来るな、の押し問答がしばらく続いた。来るな、というのは、言う方も辛いものだ。お前は私の仲間ではない、と宣告しているような気持ちになる。
もし相手が母だったら、罪悪感に耐えながら話を押し通すこともできたと思う。しかし、相手は父だ。私は父を嫌いではない。だから、来るという父に対して拒絶を続けることが難しかった。
私は一旦電話を切り、妻と話をした。火葬場は狭いので、参加させるのは難しいだろう。ただ、明後日の葬儀の会場は寺だ。そのお寺は、結構広かったように記憶している。明後日の葬儀のみに出席して日帰りであれば、大丈夫かもしれない。
気が重かったが、妻へ、どうしても来たいって言ってるんだけど、と相談した。二日目の葬儀に日帰りで参加するということだったら大丈夫なんじゃないか、と言い添えた。母のことは来させない、とも言った。
妻は、私の母からいじめられていた。だから、母が来ると言ったら拒絶したと思う。しかし、父のことはそれほど嫌いではなかったはずだ。
妻は、パパさんに相談しに行った。喪主側の人に負担をかけることを申し訳なく思った。うまく父を誘導できなかったことが情けない。
パパさんは、お寺だけなら、と承諾してくれた。私は父に電話し、明後日の葬儀のみの参加で日帰りならOK、と父に伝えた。父は了承した。
この時点で、夜11時くらいになっていた。私たちは公民館の中にある風呂で温まったあと、布団に入った。